言葉の表現にも適用される、「量質転化」の法則

個人的に、以前からとても尊敬している作詞家の方がいます。
彼女は現在、作詞家専業として、さまざまなアイドルユニットに歌詞を提供する他、作品の挿入歌の作詞を担当しています。
その作詞家が、評価されるのはなぜ?
その歌詞たちは、ただの日本語であるにもかかわらず、たくさんの人の心を揺さぶり、共感を得ています。
彼女の書く歌詞は、どうして感情を揺さぶるのか?
ただの日本語の文章のはずなのに、何が違うのか?
彼女が評価されているのはなぜか?
その作詞家の強みは、
「作詞対象(歌う人や作品)の背景にある情報を、分かりやすい言葉に落とし込むのが巧みだから」
だったんです。
コンテクスト=背景情報の共有
曲を聴く人たちの間には「同じものが好き」というコンテクスト、背景情報が共有されています。
その曲を聴いた人が「この歌詞、分かる……」とつい思ってしまうような、言葉の選び方。
以前、同じ言葉でも、コンテクスト(背景)により意味合いが異なるという話をしました。
あらかじめ聴く人の間で共有されている背景の情報を、彼女は分かりやすい言葉選びで、的確に表現しているんです。
どんな情報も、言葉そのもの(コンテンツ)と、背景情報(コンテクスト)で作られています。
背景情報を共有した相手へ、的確な言葉を投げる彼女が、評価されない理由はありませんね。
どんな仕事も、量は質に転化する
ただ、それは才能だけではなく、おそらく圧倒的な仕事量で裏付けられた実力です。
20年オーバーのキャリアの中で、彼女が作詞した曲は1500曲近くとも言われています。
「量が質に転化する」と言われますが、その実例を、リアルタイムで見ている気持ちになりました。
質にこだわりすぎるあまり、量が減るのは本末転倒です。
テイク1で、最初から、良いものが作れるわけはないから。
私は作詞ではなく、ブログで情報発信をする身です。
文章や絵、また事務的な仕事であっても、「量が質に転化する」ことは、肝に銘じておきたいですね。
お読みいただき、ありがとうこざいました!