「嫌いな人」の幸せを願えるか?
ゆう
ひとりアソビラボ
油断すると、私たちは当たり前でないものばかりにフォーカスしてしまい、
「当たり前」をないがしろにしてしまいそうになります。
友達と丸一日遊んで、ここぞとばかりに飲み食いする。
その反動を、翌日、もろに受けることがあります。
そんな日は、体を労わりつつ、後回しになっていたやることを少しずつ進めて1日すごします。
毎日きちんと回復すれば、毎日が全力なんですけどね。
自分の体は一生付き合っていくものなので、仲良くやっていきたいです。
五体満足であること、元気なこと。
「当たり前のこと」は、普段は意識しないこともあり、なかなか認識することができません。
失って初めて分かるありがたみ……ということもあります。
私自身、定期健康診断で即入院→手術になったことがあります。
この時ばかりは、「健康って当たり前じゃないんだ……」と思いました。
『何でもないようなことが 幸せだったと思う』
と歌っているロックバンドもいますね。
けがをしたり風邪をひいたりした際、その不調に目線を向けがちです。
「当たり前でないもの」に目を向けてしまいます。
けれど、体は動くし、目も見えている。声も出せる。
つい、当たり前でないものばかりにフォーカスしてしまい、
「当たり前」をないがしろにしてしまいそうになります。
自分が「これ、いつもと違うなあ」と思う1点の裏側には、100個の当たり前が隠れている。
そう思うくらいのほうが、バランスが良いのかもしれません。
自分が当たり前だと思っていること。
他の誰かにとっては、当たり前でないかもしれない。
「1の違いを責めるより、100の当たり前を敬う」ことを、
忘れないようにしたいなあと思います。