交通事故の死亡者数と、日常に転がるメメントモリ
交番に貼り出されている、きょうの交通事故件数
自宅の最寄り駅と会社の近くに、それぞれ交番があります。
いつもごくろうさまです、と思うと同時に目に入るのが、前日に発生した交通事故件数の看板。
各交番の管轄内と、その交番を含む県内で、前日の交通事故で発生した負傷者数と死亡者数が掲示されています。
最近では、交番を見かけるたびに、この看板を確認するようになりました。
交番管内の負傷者数は、数人~多くて10人前後くらい。
一方で、交通事故による死亡者数は0のことが多いです。
時々、その数字が、1や2のときがあります。
死亡者数「1」に想いを馳せる
きのう発生した交通事故での死亡者数、「1」。
その人は、前日まで自分が死ぬなんてことを、露ほどにも思っていなかっただろう。
(自ら命を絶つつもりで車に突っ込んだ人もいるかもしれないけれど、今回の話では考えないでおきます。)
唐突に命を落とした人がいる。ということは、唐突に、家族や友人などの身近な人を失った方もいるだろう。
今日、どこかで、突然の訃報に悲しむ人がいるのだろう。
同じ交番の管轄内でも、そんな風に、予期しない形で命を落とした人がいる。
「命がいつ終わるか?」なんて本当に分からないんだと、交通事故者数の看板を見るたびに実感します。
その事故は、もしかしたら、私が遭っていたものかもしれない。
他人事じゃないんだ、と考えてしまいます。
死と隣り合わせだからこそ、今を生きようと思える
「永遠に生きるかのように学べ。明日死ぬかのように生きろ」
という言葉があります。
もし明日死んでも、あるいは明日の私が今日の私とはまったくの別人であっても、今日を後悔しない生き方ができているか?
そう考えたら、まだまだやれることはあるはず。
交番に貼り出される、交通事故での死亡者数「1」。
私が、明日その1になるかもしれない。
死は今いる場所と隣り合わせなんだと、あの看板を見るたびに、ぐっと思い出すのです。
私たちの身近に転がる、メメント・モリの話。