コミュ障だと思ってたけど、どうやら私にはコミュ力があるらしい
唐突な話ですが、これまであなたは、自分のことをどんな人だと思ってきましたか?
「自分は〇〇な人間だ」
ポジティブ、社交性が高い、人見知り、暗い、不安になることが多い……。
まあいろいろと出てくると思います。
ただ、この認識と違う「自分にとっては意外な褒められ方」をしたことが、あるかもしれません。
この場合、
- 自分が「私はこういう人間だ」と思っている私
- 他人から見て「〇〇さんはこんな人」と思われている私
のうち、「他人から見て「〇〇さんはこんな人」と思われている私」を、スルーしないでほしいんです。
コミュ障だと思ってたらそうじゃなかった
私は、ずっと自分のことを、コミュ障だと思っていました。
※本記事における「コミュ障」は、ネットスラング的な意味合いで「コミュニケーションが苦手な人」を指すものとして使用しています。
しかしある日、職場の同僚が言ったことに、自分の耳を疑います。
「ゆうさんってコミュ力高いじゃん!」
内心、ハテナマークだらけでした。
「自分はコミュ障だ」という自己認識と、「ゆうさんはコミュ力(コミュニケーション能力)が高い」という他人からの認識。
このふたつが、全く異なっていたんです。
自己認識はこうして作られた
なぜ、私が自分のことをコミュ障だと思っていたのか。
これを振り返ってみました。
知らない人と喋ることはできます。そつなく会話を聞き、相槌を打つこともできます。
ただ、相手に対して、私自身が心の壁をずっと作っている自覚がありました。
心の壁を作っていると、どうなるか?
本心を言わず、お世辞と、相手の機嫌を損ねないことに終始してしまう。
「その場を乱さないこと」を目的に、繕って、空気を読んでいる。
そんなことを続けている私はコミュニケーションが上手くないんだ、コミュ障なんだ。
と、自分のことを認識をしていました。
その自己認識、もしかして幻想?
しかし、他人から「コミュ力が高い」と評価されたことで、ある疑念が浮かびます。
「苦手って思っていることって、実は私が勝手に作り出した幻想なのでは?」
例えば、会社で電話を取るのがとても苦手なとき。
苦手ながらにずっと続けていたら「あなたの電話対応はとても丁寧でいいですね」と言われたとします。
この場合、電話対応が苦手!と思っているほうが、自分のかたくなな思い込み……という可能性もありますよね。
「私らしくない褒め言葉」も、一度受け入れてみよう
あなたがかたくなに「これ苦手なことだー」と思っていることを褒められたとき、どう受け取りますか?
「いやいやそんなことない!」って思いますか?
それとも「意外と、これは苦手じゃないのかもしれない」って考えますか?
- 自分が、自分自身のことをどう思っているか
- 他人から見て、自分はどう見えるか
このふたつが違うことは、よくあります。
その場合、自分が強固に信じているもの、特に苦手や不得意だと思っているものは、意外と苦手でも何でもないのかもしれません。
どっちが本当の自分か?という問いはどうでもいい。
どちらも自分であることには、間違いありません。
ただひとつ言えることは、両方を認識できると、自分自身の成長するスピードが、圧倒的に高まっていく!ということ。
他人から言われた「私らしくない褒め言葉」も、あなたを構成する一要素として取り入れていけば、また違ったあなたに出会えるはずです。