PDCAサイクルを悪者にしないための再定義とヒント
ゆう
ひとりアソビラボ
「深く考えることをやめる言葉」があります。
などなど。
言葉そのものが悪いわけでもありません。
しかし、こういった言葉を使うときに、考えてほしいことがあります。
私たちは、そういった言葉を口にした時点で、続きを考えることを、やめていないでしょうか?
言葉は時代で変わっていくものです。
変化すること・しないことを、強制はできません。
しかし、自分とは違う「異質なもの」を知って、それでもなお共存するためには、思考停止の言葉の先にある、「深く考えること」が必要です。
ひとりで生きたいからと言っても、自分以外の全てを拒絶していては、生活することはできません。
「うざい」「むかつく」で相手を否定してしまえば、それは拒絶になります。
「ヤバい」「エモい」「カワイイ」で、対象のすべてを肯定することもできますが、肯定どまりです。
良くも悪くも、その先を考えることをやめてしまう。
深く考えることをやめる言葉が出てきたとき、ちょっと立ち止まって、考えてみてください。
「私は、何に心を動かされたんだろう?」
「私は、何に強く違和感を持ったんだろう?」
「どんなところを、ウザいと思ったんだろう?」
あなたが、自分自身に問いかける。
それが、他人を知り、自分を知る一歩になっていくでしょう。
お読みいただき、ありがとうございました!