「他人に迷惑をかけてはいけない」という信念の傲慢さ
ずっと「他人に迷惑をかけてはいけない」という思い込みを持っていました。
一見いい人そうに見えますが、この信念は、ともすれば人を見下す要因にもなります。
ぞっとする気づきと、迷惑をかける練習をしているお話。
強烈な思い込み「他人に迷惑をかけてはいけない」
ずっと思い込んでいた信念があります。
その内容は、「他人に迷惑をかけてはいけない」ということ。
迷惑をかけたらどうなると思い込んでいたか?と言いますと。
- 死ぬ!とまではいかないが、大きなダメージを受ける
- すごい剣幕で怒られる
- 存在意義を否定されたような気持ちになる
インド哲学に「お互い迷惑をかけ合って生きているのだ」みたいな教えがあります。
ああいう教えを、頭では分かっていても、全然実感できないのです。
まあ、つまりは理解できていなかったってことですよね……。
迷惑をかけたと思ったエピソード
この信念について考え始めると、パンドラの箱を開けたみたいに、迷惑をかけたときのエピソードが思い出されます。
10年以上前、モノブライトというロックバンドのライブを見るために、岡山まで行ったときのこと。
ライブの前後で母親と喧嘩し、こっぴどく怒られました。理由は忘れましたが。
帰りの新幹線の車内で、泣きながら電話で謝ったことを覚えています。
あれは本当に謝る必要があったのだろうかと、ふいに考えたりします。
誰にも迷惑をかけずに生きたいと思っていました。
他人様に迷惑をかける自分は、価値のない人間だ!って思っていました。
いやー、無理な話だわ!
迷惑をかけられたときはどう思うか
一方、他人から迷惑をかけられるのはどう思うか、と考えてみます。
例えば、知り合いや友人から迷惑をかけられたりした場合どう思うか?
「まあ事情があるし仕方がないよなあ」
「悪意がなければ特に気にしないな」
他人からの迷惑は気にしないけれど、他人に迷惑をかけたくない。
その奥には、「完璧な自分でありたい」「自分が優位に立ちたい」という思いがあります。
他人に迷惑をかけたくないのは、傲慢さの裏返しで、他人を見下す思考につながる。
自分の中にある闇の部分を見て、ゾッとしながらも、心当たりのある部分だと感じました。
今は、他人に迷惑をかける練習をしている
今は、迷惑をかける練習をしています。
という書き方をすると傍迷惑な奴だと思われそうですが、厳密には、
自分では「こんなこと依頼したら迷惑かな……」と思うことを、あえて依頼する
という練習を積み重ねています。
やってみると、案外普通に引き受けてくれるんですよね。
依頼やお願いをするまでは
「相手はすごく嫌な思いをするかもしれないなあ」
と、不安ばかりを募らせていました。
しかし、いざ依頼してみれば、相手はなんとも思っていないことが分かります。
何か思っているかもしれないけれど、少なくとも言ってきたことはありません。
また、何か言われるようなら、言われたときに考えよう……!と思えるようになりました。
迷惑をかけるという恐怖も、そういう自動反応設定が自分に入っているだけなのかもしれない。
反応は選べるんだという気持ちで、様子を見ながら、いろいろ試していこうと思います。