「もっとブログを書きたい」と思った理由を考えた
ブログをもっと書きたい!と思ったんです
「ブログをもっと書きたいな」と思いました。
ブログを書き続けることで、関わる人の役に立っている、価値を与えられているという実感が、少しずつ芽生えてきています。
そう感じるタイミングは、例えばLINE@などで感想をもらったとき。
Twitterで「いつもブログを読んでいます」と言ってもらったとき。
そのひとつひとつが、とても嬉しいです。ありがとうございます。
「自分が価値を与えている」と分かるのが嬉しい
自分が価値を与えている!と思えるときは、どんなときでしょうか。
少し考えてみました。
分かりやすい例だと、仕事や家事、タスクなど、何かを完了させることでお礼を言われたとき。
相手がいて、感謝の気持ちを受け取ったときは、価値があることをしたと分かりやすく実感できます。
また、自己満足でやっていることでも、価値あることは存在します。
私は掃除が好きで、毎週かかさず水まわりの掃除をしています。
一人暮らしのときから、ずっとやっていることです。
目に見えてきれいになったときは、誰にお礼を言われてなくても役に立った感があります。
そういう面では、自己満足も大事な要素です。
そして、ブログの感想をもらったとき。
「感想を送る」という行動をするためのエネルギーを作り出したという意味では、これまで書いてきたブログ記事に、少なからず価値があるということだ、と考えられます。
ブログを書くのは「縁起」を作ることでもあると思う
価値を生み出すのは「縁起」です。
縁起と呼ばれるものは、ネットワークに似ているところがある、と考えています。
自分という存在は、常に他人や場所や五感からの影響を受け続けています。
そして何より、他人からどう認識されているか?の結集で、自分が形作られます。
例えば、生まれたときから無人島にいる親のいない子は、どういう縁があるのでしょうか。
その子供がひとりで無人島暮らしをしているとしたら?
縁起としては、「どこともつながっていない」とさえ、言えるかもしれません。
ブログを書いて情報発信をすることは、社会やインターネットの中に「縁起」をデザインすることで、自分を形作っていくことでもあります。
私はまだ、必ずしも狙った価値提供はできていないかもしれません。
しかし、手を止めるという選択肢は、今のところありません。
価値を循環させ居心地のよい世の中を作るべく、これからもブログを書きます
自分の中にあるものをどんどん出していく。
そうやって、縁起を広げ、感情や価値を循環させていく。
価値は比較によって生まれるから、自分の中にあるだけではその価値はずっと分からないままです。
そのままでは、喜びや楽しさを味わえないような、つまらない人生になってしまいます。
自分にとって、価値のあるもの・価値あることを、人に伝えていく。
それは、他人にとっても価値あるものとして、受け取ってもらえる可能性が十分にある。
人それぞれなので万人とまではいきませんが、そういうのって、素敵な世の中だと思いませんか?
そんな素敵な世の中を実現させるために、これからも、ブログを書き続けていきたいです。