フローの文章とストックの文章の使い分け、そしてリアクションがほしい気持ちに対する考察

ブログ

Slackやチャットはフローの文章で、ブログはストックの文章

最近、こんなことを考えるようになりました。

ゆう
ゆう

文章には、フローの文章とストックの文章の2種類があるのでは?
Slackに書く文章とブログに書く文章って別物なのでは??

フローの文章は「今そのとき」のために書く文章です。

  • コミュニケーションのため(Slackやチャットなどのテキストベースの交流・連絡)
  • または自分の考えをまとめるため(ノートやアウトライナーに書く・アウトプットする)

こういったものがフローの文章。即時の反応がある文章から、数日のラグがある場合もあります。

一方、ストックの文章は「残すため」「読み返す(読み返してもらう)ため」に書く文章。

その場にいない人に情報を伝える(ドキュメントや議事録)のが典型で、残しておきたい気持ちや出来事を整理するのもストックの文章に該当します。1か月〜年単位で残すことを前提とした文章も言えますね。

テキストコミュニケーションは書きっぱなしで反応ありき

フローの文章は書きっぱなしのテキストで、相手や自分から反応を受け取って目的が達成される。

自分で書いたものを読んで「なるほど、こう考えているのだな」と気づくのは、自分からの反応です。即時性のある文章。

TwitterやSlack、Chatworkなどは書きっぱなしで、その投稿自体をドキュメントとしては基本使いません。NotionやGoogleドキュメント、紙のノートへのアウトプットも同様で、基本的に書いたら終わり。
書きっぱなしとは言っても、その場で読みやすいように文体を整えたりはします。

誰にも見られない場所に書いた文章をそれほど読み返さないのは、それらがフローの文章だから。

たまに読み返して「当時はそう考えてたんだな……フフッ……」と微笑ましさを覚えますが、それを目的に書いてはいません。

ブログやドキュメントは時間を超える

フローの文章が即時的〜短期のコミュニケーションを目的としているのに対して、ストックの文章は長期的な時間での共有や保存を目的としています。端的に言えば「時間を超えて伝わる文章」がフローの文章。

自分がブログに投稿した記事は定期的に読み返すし、運用の変更により手入れはしますが、社内ドキュメントも基本的に保存を前提とした文章です。

ストックの文章を書くプロセスでは、何度も文章を読み返し、推敲します。

仕事で使う手順書や説明書は、読む相手を考え、読んでもらえるように整え、また後から修正や整備もしやすい状態にしておく。ブログであれば、自分自身が何を考え、どう感じているかを客観視していく。

ストックの文章は、時間を超えて他人に手渡している文章とも言えそうです。

ストックの文章に対して反応を期待してしまう

ストックの情報は時間を超えるが、フローの情報が時間を超えることはほとんどない。
そして、時間を超える価値はすぐに判断できない。骨董品みたいなものです。

私は、自分のために書いたブログの反応が気になってしまうことが多いです。

自分のために書いているブログでも、時間を超えて、未来の自分の価値になるまでには時間がかかる。
未来の自分にとっての価値になるまでの間、ブログでのこれらのアウトプットに価値があるかどうか、特に書いた直後の自分は判断できない。

結果、即時的な反応を求めてしまい、自分のために書いているはずのブログなのに、他人からの反応が気になる……そんな現象が起こっているのではないか。

ただ、どんな記事・どんな投稿に反応を示してもらえるかは、何を求められているかを探るひとつの指標にもなります。反応から何を求められているのかを把握できる。気にしてしまうのが悪いわけではないはず。

この辺りの折り合いはまだつけられていません。

書くモチベーションと、文章の種類には関係性がある

書くモチベーションには、短期的なモチベーションと、長期的なモチベーションがあります。

即時的な反応(その場の自分からの反応や内省による気づきも含む)を得られるのが短期的なモチベーションで、誰か(未来の自分を含む)の役に立つのが長期的なモチベーション。

不思議なことに、ストックの文章・フローの文章の役割と一致しています。

短期的なモチベーションに他人が絡むと、反応がほしい・気になる・怖いといった気持ちが生まれる。そのときのメンタルの具合にもよりますが、反応がないと不安になる。意識的に「気にしているなあ」と認識し続けた結果ずいぶんと改善されましたが、まだまだ修行が必要なようです。

短期的なモチベーション(反応をもらえること)ばかりを意識し、不安を感じる場面もある。でも、それはブログに書く文章=ストックの文章の役割ではないはずです。

インスタントに好意的な反応がほしい気持ち

正直、好意的な反応がほしい、リアクションがほしい自分もいます。

反応が気になる。むしろ怖い。後ろから突然刺されないかを気にしてビクビクしている。「好意的なリアクションがほしい」が正しい表現で、別にボコボコに叩かれたいわけではない。創作物をボコボコに叩かれたい人など少数派だと思いますが。

TwitterやInstagramのいいね、Slackの絵文字リアクション、会話とかもそれになりがちなことが多い。あらゆる場所で他人の反応を気にしてしまう。思考の癖みたいなものです。

リアクションは「ここにいていいのだな」と思えるきっかけになるから、気にするのも無理はないのかもしれません。アウトプットをただ虚空に投げ続けるのは胆力がいる。虚空に投げ続ける狂気に近い情熱を、私は真似できない。真似できるとも思わない。

自分が認識している以上に、自分はインスタントなリアクションを求めているのだと実感する。そんな自分もいる、と認めるところから始めるしかありません。

フローの文章はストックの文章に変化する

ときどき、フローの文章がストックの文章に化けるのが厄介。

内省のために書いたフローの文章をブラッシュアップした結果、ストックの文章へと変化するさまを何度も目の当たりにしてきました。このブログ記事もそう。
一方で、ストックの文章がフローの文章に化けることはほぼありません。

私の場合、内省用の文章であっても、公開するブログであっても、書いている内容は大して変わりません。違いを挙げるとすれば、置いている場所、文章が推敲されているか否か、見た目がいい感じになっているか(アイキャッチ画像など)くらい。

あくまで文章が化けるのはフロー→ストックの一方通行です。2022年のふりかえり記事や、思考ログカテゴリの記事がそれにあたります。ストック→フローに変化することはほぼありません。

この変化は「可能性」とも言えます。文章が化ける可能性はいつでもあって、これを捨てきれないからずっと書き続けているのだろうとも。

特に個人的な内省においては、フロー→ストックに化けたのは書いた本人にしか分からないから、フロー的な即時のリアクションを期待してしまうのも無理はないのかもしれません……。

どちらの文章も書いていきたい

フローもストックも、どちらも文章には変わりありません。目的が違うだけ。
手元のノートに書いた内省も、アウトライナーに書き綴った気づきも、こうやって公開しているブログ記事も、どれも文章です。

未来の自分は、今の自分が書いた文章に対して、確実に好意的なリアクションを返すでしょう。過去の自分が書いた記事に助けられているのだから。

未来に身投げする記事なんかは、まさしく読み返すたびに

ゆう
ゆう

いや〜〜いい記事だねえ、100個くらい拙い箇所があって恥ずかしいところもあるけどそれも味だねえ

とか思っています。表現はちまちま手直ししています。

ブログ記事は、書き上げた時点で、すでに今の私自身だけのフローの文章ではなくなり、他人に見せられるストックの文章となります。この場合の他人は、未来の自分と、文字通りの他者が含まれている。

自分自身のごく個人的な問題を超えて、もしかしたら普遍的な課題があるかもしれない。そんな期待もある。

「書く」それ自体は手段であるけれど、その手段や過程も楽しめるのが一番ですね。そうあり続けたいものです。

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