ストレス発散を手放すための、たったひとつの鍵
ストレスは「考え方の癖」です。
やけ食いなどのストレス発散はそこそこに、ストレスの元となっている、自分の考え方を見つめなおしていきましょう、というお話。
ストレス発散で食べすぎるのは、自分の胃をごみ箱にしているのと同じ
税理士事務所に勤めていた友人が、こんなことを言っていました。
「ストレス発散で暴食するのは、自分の胃をごみ箱にしているのと同じだ」。
そう言った友人自身が、職場でのストレスを発散させるため、ひたすら食べることを選んでいた時期があったようで。
飲み会でリッターヒールを共に飲みつつ、ちくわの磯辺揚げをおいしそうに食べる友人の姿からは、想像もつきませんでした。
自戒を込めて呟く様子が妙に忘れられず、今でもときどき思い出す場面です。
あなたは、どのようにストレスを発散していますか?
思わず食べすぎたりしまっていませんか?
安心したくてつい食べすぎる、そして罪悪感へ
かくいう私も、ストレスで食べすぎる……なんてことをやりがちです。
最近も、不安感から「食べること」に逃げていました。
具体的に誰がムカつく、何が不満というものではありません。
日々思考を巡らせるなかで、ただ忍び寄るように襲いくる不安感に「何かしなきゃ」と思ってしまう。
具体的な計画や目標が、何もないにもかかわらず、です。
その結果、冷蔵庫を覗いては何かないかとにらめっこしたり、珍しく置いてあったお菓子をついつまんでしまう。
何か食べることで、一時的に安心感を得られ、気持ちが緩みます。
しかし、その直後、感情に任せて食べすぎてしまったことに対する罪悪感が襲ってきます。
ただ食べても太るだけで、問題は解決しないというのに……という後悔。
でも食べ物はおいしい。いっときの幸福と、罪悪感の繰り返し。
繰り返すうちに、好きなものを心から喜んで食べられなくなっていました。
ストレスは発散させるものではなく「考え方の癖」
私は、「最終的にはストレス発散は不要になる」と考えています。
一時期、同僚に「愚痴も言わずに、どうやってストレス発散してるの!?」と驚かれたこともありました。
その時やっていたのは、「考えきること」です。
具体的な対象にストレスを感じているなら、ついつい自分がイライラしてしまうのはなぜなのか?
漠然とした不安感があるなら、その不安が生まれたのはどんな時からか?またどういう状況なら不安を感じずに済むのか?
そういったことをひたすら考え、時には思ったことをノートに全て書き出します。
逆説的に考えれば、今現在食べすぎてしまう状態、すなわちストレスがたまっている状態は、考えきれていないことが原因のようです。
「ストレス発散」という表現が、あまり性に合わない自分。
発散ではなくて、どう向き合っていくか?どう寛解させるか?といった認識でいます。
その場しのぎでストレスを発散しても、元を絶たない限りは、元の木阿弥で解決しません。
考え方の癖で起こるものだから、似たようなケースで再発することもありますしね。
ストレスの軽減は「自分自身との対話→行動」で!
さて、そんなストレスを軽減していくためには、自分自身との対話が必要。
自分自身との対話も、コミュニケーションのひとつです。
自分自身とのコミュニケーションが不調だと、
- ストレスをためこむ
- 自分で自分の好きなことを否定してしまう
- 自己肯定感が下がる
といった状況になり、本来の能力が発揮できない状態になってしまいます。
ストレスは、本来自分との対話で行動を起こし、学びや経験知に昇華させていくもの。
そのために「考えること」「向き合うこと」は必要不可欠です。
そんな体力がない場合は、まず何より死んだように寝る!
それから「ストレスの原因について考える」ことを、試してみてください。
ひとりではしんどい場合は、カウンセリングなど他人の力を借りるのも一手です。
そして、必要に応じて「原因となるものを取り払う」ために行動する。
そうやって思考と行動を繰り返していくうちに、ストレス発散という考えは、いつの間にかどこかにすっ飛んでいくことでしょう。
ストレスという「考え方の癖」も改善し、浪費ややけ食いもなくなって、一石二鳥というものです。