私にとっての情熱はもはや「狂気」だ
最近つらつらと考えていることのひとつ、情熱と狂気について。
人の目を気にして好きを表明できない私に訪れた変化
私は、他人の目を気にして自身の「好き」を表明するのをためらいがちです。
「私が好きだと言っても、これをもっと好きな人はたくさんいるからなあ……」
「私なんかの知識量で好きって公言してもいいのかなあ……」
「私より経験豊富な人はたくさんいるからなあ……」
といった感じで。文章にすると、それはそれは滑稽なわけですが。
他人など知らん、私はこれが好きだから追求するんだ。そんな趣味やライフワークを持っている人をうらやましく眺めてきました。
しかし、ここ1年、周りを気にせずに突き進んでいけるものを見つけました。フレンチトーストです。
いろんなお店にフレンチトーストを食べに行ったり、また自分で作ってみたり。
好きが高じてフォトブックを自作しました。
フレンチトースト好き
自分で言うのも何ですが、フレンチトーストへの探求はとどまるところを知りません。
- 仕事の昼休みに、会社最寄り駅近くのカフェに行く。休み時間を30分オーバーする
- コンビニの新商品を買い込み、フレンチトーストのストックが渋滞する
- とにかくフレンチトーストと名のつく商品があれば手を出してみる
すべての活動が楽しくて、周りからどう見られているかなんてどうでもいい。ワクワクしながら、フレンチトーストを楽しめています。そこに義務感などはなく、ただ強い興味や好奇心で動き続けています。
その状況は「好きなことを突き詰めてやってるだけ」かもしれませんが、私にとってはもはや軽く「狂気」の域です。
周囲にかまわず、何を言われようと、笑われようと、私はこれをやる。私にとって、そんな好きを持つのはもはや「狂気」と言っても差し支えないのです。
今までは、他人など知らん!と言い切れなかった。だから、そう言い切れるほどの「好き」は、私にとってはもはや気狂いの域です。
狂気のほうがおもしろい
でも、実際、狂気で何かやるほうがけっこう面白いな、とも思っています。ここで言う狂気は、世の中の一般で言われる「情熱」と近しい概念と言えるでしょう。
「なぜそれにそこまでの情熱を……?」みたいに思われるかもしれません。でも、何に情熱をかけるかって、もはや自分にしか決められないのです。
TBS系列で放映している「マツコの知らない世界」が好きです。(フレンチトースト回は見逃しました……。不覚……。)あれも「どうしてそれを追求した?」と拍手したくなる情熱の宝庫ですよね。
道端の石ころかもしれない。謎に片方だけ落ちている軍手に熱を上げているかもしれない。それらと同じ熱量で食料問題に取り組む人だっているでしょう。その情熱の中身に優劣はないはずです。
狂気とも呼べる情熱で突き進む人が増えるといいな、と思います。
あと、フレンチトースト関連の情報は、TwitterまたはInstagramにて随時お待ちしています。