エッセイ

「後悔」という言葉が消えた日、辿り着くまでの3つのステップ

ゆう
記事内に商品プロモーションを含む場合があります

いつの間にか消えていた「後悔」という感情

最近、めっきり後悔しなくなりました。
1年ほど前までは、後悔してばかりだった自分。
あのとき何々をしていたらなあ、って思うばかりの毎日。
いつしかそう思わなくなっていたことに、今になって気づきました。

今になって「後悔していない!」と実感できたということは、少なくとも、そうなるまでに1年かかったということ。
それまでにやってきたことって何だっただろう?

自分なりの「後悔を消し去るステップ」を辿ってみました。

ひとつめ、 過去に後悔したことを見つめ直す

過去に後悔したこと、また辛かったこと、しんどかったことを思い出して見つめなおす。
真っ先にこれをやりました。

当時の記憶が蘇り、辛くなったりもします。
実際に、後悔は思い出すたびに苦い気持ちになりますし、「しんどい……無理……」って何度も思いました。

しんどいと思いながらも、意識したことがあります。
「事実と解釈を分ける」ことです。

例えば、私の後悔のひとつ「大学に進学しておけばよかった」
この後悔をずいぶんと周りのせいにしていましたが、実際はこんな感じです。

事実:私は大学に進学しないことを選んだ
解釈:大学に行けば充実したキャンパスライフがあるはずだったのに、周りのせいでそれを選べなかった

また、私は学生のころ、クラスメイトに仲間外れにされたことがあります。
当時こそしんどかったものですが、今は次のように解釈しています。

事実:私が話しかけたとき、クラスメイトにスルーされることが何度かあった
解釈:当時作っていた私のウェブサイトを見て笑い、馬鹿にした結果、私と距離を置くようになった

辛さが消えることはありませんが、事実に意味づけをしているのは、いつだって自分です。

ふたつめ、後悔したおかげで都合がいいことを考える

次は、「現在」のことについて考えます。
過去に後悔したことや、しんどかったこと。
「それらがあったからこそ、いま都合がいいと思えること」を、探し出してみます。

私は、学校で仲間外れを受けた後、単位を落とさないギリギリのラインで学校をサボるようになりました。
学校をサボってでのアルバイトに没頭し、そのお金で、福岡から東京に何度も遠征することができました。

その時に仲良くなった友人とは、今でも飲みに行く仲です。
ひねくれた性格にはなりましたが、学校だけが全てではないと体感できたのは、大きな経験でした。

また、大学に行かなかった分、早く就職したおかげで得たこともたくさんあります。

みっつめ、起こることは全て好都合であると受け入れる

今現在に不満100%ではなく、少なくとも5%くらいは、不満ではないことや感謝できることがあると思います。

ですが、最初に見つめなおした後悔や、しんどい時期がなかったとしたら?
目の前に広がる、まあ悪くはない「現在」には、決して成り得なかったはずです。

そう考えると、後悔も、しんどいことも、「私にとって不要なものだった」とは思えません。
もちろん、後悔や辛いことなんて、少ない方がいいんですけどね。

後悔も、辛さも、悩みも、苦しみも痛みも全部。
全てのできごとは、自分にとって必要不可欠なピースだった。

少しずつそう思えるようになり、いつしか「後悔」という要素は、私の過去から消えてなくなりました。

何度も繰り返した先にあった「正解」

実際のところ、こんな3ステップ一度で後悔が消え去ったら苦労しません。
だから、何度も何度も、繰り返しこれをやるんです。

過去の後悔やしんどかったことの意味づけを、自分の中で完全に書き換えるまで。
「私がとってきた選択は、今思えば何だかんだで何一つ間違っていなかったのだ」と、納得できるようになるまで。

正解は外に求めるものではなく、私がとってきた選択や、迷いや後悔のすべてを、自分の手で「正解」と解釈するのです。

私の行動を「正解」に寄せるのではない。
「正解」の定義を、私の行動のほうに寄せる。

私の行動と、目の前に広がる現実がすべて正解なんだと、今なら思えます。

ABOUT ME
ゆう
ゆう
情シス正社員から転身し、リモートワークの複業コーポレート&ビアバースタッフのパラレルキャリアを実践中。ITツールやアプリを活用して、個人のタスクとプロジェクトを管理しています。フレンチトーストとクラフトビールが好き。
記事URLをコピーしました