自己理解

過去のつらさを感謝に変えられたのは「認識」のおかげだった

ゆう
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2年ほど前の話。仕事がしんどい時期がありました。
ふとしたきっかけで「いま、その頃を思い返してみてどう思うか?」と考えた時に、真っ先に思ったこと。

「つらいことも多くあったけど、楽しいこともあったし勉強になったよね」

でした。

自分が考えたことなのに、自分で驚いていました。
「え!?どうしてそう思えるんだ!?」って、内心ツッコミを入れてしまうほど。
不思議な現象なので、少し深掘りしてみました。

「しんどい」が「感謝」に変化した謎

2年前、仕事がしんどかった時期。
ブラック企業でもなければ、ハードワークでもない職場です。
それでも、自分なりにめちゃめちゃしんどかった。

毎日線路に飛び込みたいって思いながら通勤していました。
朝、リビングで突っ伏したら起き上がれなくて、会社を休んだこともありました。

「楽しい」なんて、ちっとも思っていません。
当時の感覚は、今でもよく覚えています。

それらを今振り返ると、
「つらいこともいろいろあったけど、楽しいこともあったし勉強になったよね」
になった。
自分で自分にびっくりしました。

どうして「楽しかった」なんて感想が出てくるのか!?
当時はしんどくて、本当にしんどくて、毎日「楽になりたい」と思っていた。
どうして今になって、そうやって美化して、肯定できるんだ?
時間の経過がそうさせたんだろうか?

とも考えましたが、そんな単純な話でもなさそうです。

気持ちの変化、キーワードは「解釈」

しんどかった時期が、いつしか肯定できる思い出になっている。
その現象のキーワードは、「解釈」だと考えています。

過去に解釈を与えているのは、いま現在の自分です。

いま現在、ありがたいことに私は割と元気。
その今を肯定するために、当時はあれほど「しんどい」と思っていた過去さえも肯定している。

そう考えることもできます。

体罰を受けていた生徒の例

アドラー心理学についての物語である幸せになる勇気」に、こんな一節があります。
在学中に体罰を受けていた生徒を例にした話です。

徹底的に叱られ続けた生徒たちでさえ、のちに
「あのとき厳しく指導してくださって、どうもありがとうございました」
と感謝するのですよ!

厳しくされたからこそ勉強を続けられた、あれは愛の鞭だったのだと、本人が認めているし、あまつさえ感謝までするのですよ!
この現実を、あなたはどう説明するのですか!?

これに対して、哲人の回答がこちら。

「いまの自分」を積極的に肯定しようとするとき、その人は自分の過去について
「いろいろあったけど、これでよかったのだ」
と総括するようになる。
「いま」を肯定するために、不幸だった「過去」をも肯定する。

在学中に体罰されているにもかかわらず「厳しく指導してくださってありがとうございました」と言う状況。
これを、私自身がしんどい時期を「つらいこともあったけど勉強になった」と解釈したことと重ねました。

今を肯定するために、不幸だった過去をも肯定する。
今が幸せなら「いろいろあったけども、これでよかったのだ」と過去を肯定する。
今が不幸なら「あの時のあれのせいで不幸なのだ」と過去を否定する。

過去も未来も、解釈されている以上、自分の頭の中にしかない。
いつしか解釈を書き換えていたんだな、と気づきました。

認識のフィルターを変えただけだった

当時、死にたくなるほどしんどいと思っていた仕事を「あれでよかったんだ」と思えるようになった理由。
それは、いま現在の満足度に基づいて、過去の出来事の解釈を自然に書き換えていたからでした。

事実と解釈を分けて考えること。
そして解釈は、自分の「今」の肯定・否定ぐあいにより、いくらでも塗り替えられてしまうこと。
何度も実感してきたことを、また改めて、ぐっと腹に落とし込む機会になりました。

時間をかけて移り変わるのは「認識」というフィルターだけ。
「世界をどんな色眼鏡で見るか」は、今その時にいつでも選べるんだと、改めて実感しています。

ABOUT ME
ゆう
ゆう
情シス正社員から転身し、リモートワークの複業コーポレート&ビアバースタッフのパラレルキャリアを実践中。ITツールやアプリを活用して、個人のタスクとプロジェクトを管理しています。フレンチトーストとクラフトビールが好き。
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