「正直者が馬鹿を見る」って、現代だとちょっと意味が違う
「正直者が馬鹿を見る」って、聞いたことがありますよね。
ずる賢く立ち回ったほうが得をする。
そして、正直にルールや規則に従ったほうが損をする。
気持ちのよいことわざではありませんが、妙に気になります。
ところで、このことわざにおける「正直者」って、どんな人なんでしょうか?
ちょっと掘り下げてみたいと思います。
情報に踊らされるのが正直者!?
「正直者が馬鹿を見る」における「正直者」って?
「ルールや規則を守る人」よりも、私は、この解釈が近いと思っています。
「いま自分が取り入れている情報、見ている世界だけが真実だと、疑いなく信じている人」。
現代では、そんな人たちが、このことわざでの「正直者」になってしまいます。
「見聞きしたもの・言われたことを愚直に信じて行動する人」とも言えますね。
この場合の「見聞きしたもの」って、テレビやインターネットで氾濫する情報が大半です。
自分から「この情報が必要だから手に入れよう」って思っているわけでもない。
意識せずに、いつも見ているからというだけの理由で、SNSやWebサイト、テレビ番組を見ている。
そういった情報には、広告効果を狙ったものや、スポンサーの意向が多く含まれていることも多いです。
「これは誰が、どんな狙いで出している情報だろう?」と考えずに、日常にあふれる情報にコントロールされてしまう。
受動的なその人たち=「正直者」が馬鹿を見るっていうことは、ないとは言い切れません。
情報の質が、人生の質に直結する時代
「情報格差」や「情報弱者(情弱)」という言葉が使われるようになって、ずいぶん経ちます。
もはや今の社会では、情報の質は生活の質で、人生の質に直結します。
「知らない」だけで、格差になってしまうんです。
参考: デジタル・ディバイド(情報格差)- Wikipedia
最近の話では、仮想通貨やブロックチェーン技術、IoTやAIなどがパッと思い浮かびます。
節税なども同様で、事業家の方が「お金を稼ぐほど税金がかからなくなる」と言っていたのを、聞いたこともあるくらいです。
私自身、何年か前まではニュース番組を頻繁に見ていましたが、現在はほとんど見なくなりました。
マスメディアの情報は、必要な時だけ調べて「自分で取りに行く」スタイルを続けています。
ニュースを見ていなくても、意外とどうにかなるものです。
自分にとって必要な情報って何だろう?
となると、「正直者が馬鹿を見る」の対義語は、「嘘をついてずる賢く生きる」ではありません。
「自分にとって必要な情報を正しく入手し、判断し、行動する人が生き残る」です。
とは言っても、現代は、たくさんの情報にあふれた時代。
実際にやっていくのは難しいなー、とも思います。
まずは、自分にとって必要な情報は何か?を見極めるために、さまざまな方面の意見や記事を見ていく。
日本のニュースが世界からどう報じられているか?とか。
あるいは、読んだことのない本を読んでみる。
Kindle Unlimitedなら、月額980円の定額制なので、読み進めて「無理!」って思ったらやめられますしね。
その後、必要のない情報をシャットアウトし、必要な情報を手に入れていく態勢を作っていく。
このブログも含め!……ですね。
その2ステップだけでも、「正直者という情報弱者」から、少しずつ脱していくことができそうです。
自分に必要な情報を取捨選択して、毎日を心地よく、楽しんでくださいね。