エッセイ

「やりたいこと」は、実は退屈かもしれない

ゆう
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やりたいことをToDoに落とした途端につまらなくなる

細々とした内容ですが、やりたいことが比較的たくさんあります。

部屋の模様替えをしたい。近所に開店したカフェに行ってみたい。
気になった講座に参加したい。小説を書いてみたい。内容はさまざまです。

やりたいことを実際にやるためには、タスクやToDoに落とす必要があります。
しかし、タスクやToDoに落とした途端、
やりたい!と最初に感じたときのきらめきは色あせてしまう。

その結果、やりたかったことをやっているはずなのに、なぜ私はつまらない毎日を送っているのだろう……と途方にくれる。

私がよく繰り返しているパターンです。
これを読んでいるあなたにも、少なからず思い当たる節があるかもしれません。

「やりたいことのきらめき」幻想

私たちは、やりたいことに対して、ひとつ誤解をしているかもしれないと仮説を立てました。
「やりたいと感じたときのきらめきは、ずっと続く」という誤解です

他人を見て、やりたいことをやっていていいね……と、ひがみのように感じるとき。
あるいは、好きな仕事で生きていてうらやましいな……と、やっかみを含めた感情を抱くとき。

彼らがきらきら輝いているように見えます。
やりたいことをやっている人生は、なんと輝かしいものだろう! と。

しかし、彼らが初動の「やりたい!」のままあてもなく突き進んだ結果、
今の場所にいるのでしょうか?
さすがに違うよな……と分かるでしょう。

あれやりたい! これやってみたい! とキラキラ目を輝かせているときは、
実行する際のめんどくささや退屈さには、意識が向いていないのです。

多岐にわたり活躍する俳優や歌手、数百万回再生の動画を何本も飛ばすYouTuber。
彼らが、毎日のルーティーンに何をやっているかを、私は知りません。
彼らの毎日の習慣は、意外と、退屈極まりない作業かもしれない。

やりたいことは退屈かもしれない

やりたいことはつまらないかもしれないよ。退屈かもよ。って話でした。

やりたいことは退屈かもしれない。そう認識するだけでも先に進めるでしょう。
退屈でもやる?と自問して、答えがYesのうちは進んでいけるし、
自分のつまらなさも肯定していけるのだ、と感じています。

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ゆう
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情シス正社員から転身し、リモートワークの複業コーポレート&ビアバースタッフのパラレルキャリアを実践中。ITツールやアプリを活用して、個人のタスクとプロジェクトを管理しています。フレンチトーストとクラフトビールが好き。
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